奇跡のコースに運ばれたところ。

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私自身は、コースを始めた頃は、シングルマザーで、生活に困っていた為、本当にこの幻想と言われている世界をどう生きたら良いのか、その思いのみで奇跡のコースを学び出したように思う。

どちらかというと、目の前の厳しく困難な生活から、どのように抜け出したらよいのかをコントロールする、回避方法を求めていたように思う。

その求め方は、奇跡のコースを学んでいくうちに、大きく変化してきた。自分の計画が、いかに不毛だったかという事を顧みて、神の救済計画というものに、こころを開くことが、何を及ぼすのかが、ほんの少し実感でき、その取り組みも変わってきた。

だが、そうしたおぼろげな実感だったものが、確信のように思えることもあった。今年の3月の出来事は、奇跡のコースが、本当に本当に神の救済計画なのだなと、思考や論理ではない部分で、大きく感化された出来事でもあった。

ある朝、ワークブックレッスンを何時ものように始めた途端、自己が抜け落ちた。言葉にすると、どこまでも無理があるのだが「人生をコントロールしている個人的な行為者は居なかったのだ。」これにはビックリした。こころに深い深いやすらぎが拡がっていった。

この感覚は、暫く何日も続き、今もあるが、元に戻ってしまう事もある。私の場合、今、母が入院していて、体調が日々変化する中、コロナ過で直接様態が見れなかったり、そうした家族間の諸々があるなどの条件付けで、戻ってしまうのだ。葛藤する自己のあの感覚が戻ってくる事がある。まだまだ、条件付けとして、保持しているものがあるんだと思う。

しかし、そうしたことを繰り返しながら、少しずつ、目覚めは、深まっていくそうで、そうした過程をディープニングというらしい。

有難いなぁと思う。

神様どうもありがとうございます。

 

 

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