愛におちる時。もう一度誰かを愛することを選ぶのなら。

5年前に再婚した夫は、何と⁉️
3度目の結婚なのだ。

↑すげ〜懲りない(笑)グラサン

夫いわく、

1️⃣最初の結婚は、相手を自分の

思い通りにしようとして、

失敗したそうだ。

2️⃣2度目の結婚は、相手の

思い通りの人になろうとして、

失敗したそうだ。

なかなかの

チャレンジャーだ(笑)

でも

そう言う私はどうかと言うと

前の結婚では、

1️⃣と2️⃣を同時にやり

駄目になった。

でも殆どのパートナーシップは、

そうじゃ無いのかなぁ。

出逢った頃は、

そのままの貴方でいいの。

居てくれるだけでいいの。

こころの内に愛が

溢れて、

幸福が溢れて。

そんなふうに感じていた愛が、

蜜月を過ぎると

自分自身のこころの中にある

未来への不安を

相手に投影し出す。

すると、

自分と相手をジャッジメントする

地獄が始まる。

裁く事が

本来、完全なる愛である私から

幸福感を遠ざけてしまう。

そうして、

こころの中の心象風景は、

外側に投影される。

本当は、何一つ、

ジャッジメントしない

眼差しで、誰かを

見つめる時、私達の

内なる愛が蘇る。

内なる愛が溢れて来る。

パートナーを

何一つ、ジャッジメントせずに

ホーリースピリットと共に

見詰める時、

刹那的な恋は

去り、

私達は、

愛におちる。

それは、自分自身の

内にある

永遠なる愛との和解なのだ。

この自分自身の内にある愛に触れる時、

幸福が内から溢れて来る。

それは、条件付けに全く

左右されないものなのだ。

パートナーから

何かをゲットしなくては!!という

葛藤が抜け落ちた瞬間、

愛に深くおちていく。

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