葛藤を覆す試み

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今、

葛藤していたり、奮闘努力しているのなら
それをチャンスとして活かすことに
変えてみてもよいのかなと思う。

葛藤や奮闘には、
ここまではどうしてもやりたいという
成果への期待というケースもある。

その場合、
あとわずかでそれが
叶うところまで来ているので、
中断させられたくないという気持ちも強い。

ただそこで故意に、
中断をして自分を焦らしてみると、
自分が、何を欲していたのかが
あらわとなる。

一つは、
誰かの為にしていたと思っていたことが、
ふがいない自分に達成感を
もたらせてあげる為にしている事に気づく場合もある。

そこで、自分がふがいないということを
じっと見つめて・・・。

本当にふがいないのか?

何を焦っているのか?

そして葛藤の要素の中に
認められたいとか、
蔑ろにされたくないという気持ちを
何かで解消したいというものが見つかった。

あいつは人を裏切るのではないかという
期待に背きたくないという気持ちもあった。

何を認められたいのか?
蔑ろにされているということは事実か?
期待を裏切ることとは何か?

認めるのは誰か?
何を?
蔑ろにするのは誰か?
誰が期待している?
何を?
誰に中断させられるのか?
何のために?

仲間か?
大切な人か?
家族か?
上司か?
会社か?
社会か?
世間か?
仲間って?
その人はいるのか?

その焦りは本当に必要か?

ふがいなさを与えるのは誰か?
認めていないのは誰か?
蔑ろな感じを与えるのは誰か?
期待するのは誰?
裏切るのは誰?

自分か?

それとも自我?

奮闘しているのは誰?

葛藤は必要か?

もし、その、葛藤や奮闘、努力が、
無くても大丈夫だとしたら?

もっと楽しい生き方というか、
今、葛藤なく、
奮闘なく
単純にスムーズに
冷静にしていてもよくないか?

そんな疑問を抱くのも悪くないな。

 

これまで苦難を乗り越えた
経験もたくさんあるけど、

その経験を生かせば、
今回の事も、
乗り越えられるはずだ。

諦めずに柔軟に立ち向かえば、
乗り越えられると思う。

でも、そもそも、
乗り越える必要があるのか?

今回は、
そんな過去の経験則を
活かすといったやり方ではなく

令和の時代ならば
もっとスッキリとしたい。

まったく違う見方や
アプローチが
あるかもしれない?

もっと気楽な生き方というか
今日の過ごし方というか
今の感じ方があってもいい。

何かを全部、委託してしまっても
大丈夫なのかもしれない?

何が委ねられるだろう?

このような疑問を
持つこともありだよな?

もっと簡単でスムーズでも
よいのでは?

そうした方法は必ずあるはず。

葛藤は変化の兆し。

今、

葛藤や、奮闘が無かったとして、
比較的落ち着いていても、

さらにもっと楽しく
有益な過ごし方や、

冒険的でありながらも
寛いでいたりして

ダイナミックなのに
静寂だったり。

聖霊だったら

きっと、すべての疑問に
応答して導いてくれるだろう。

とりあえず、
一旦、
平安になろう。

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